陸前高田市 竹駒町付近
4月3日(日) AM10:30頃

あれから20日経っている。今はもっと瓦礫の撤去が進んでいるところもあるだろう。変わらないところもあるだろう。
でも、4月3日という日を残しておかなければいけないと思う。もっと遠い未来に振り返ったとき、ああ、津波直後はあんなだった、3週間経ったあの時はこうだった、と来た道を辿る道しるべとして。長い道のりを歩ききった記憶として。
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遠野市経由、高田街道にて陸前高田市にはいる。

国道340号線、気仙横田郵便局あたりの川辺。
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海から直線距離で9㌔あるここで、すでに不穏な気配が漂う。
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みるみる増える、川の残留物。 いや、これはすでに瓦礫の山。
数㌔に渡って続く、国道と気仙川の共同体。 川が見えぬほど溢れかえる様々な残骸。 ここから町まで5㌔以上あるというのに。

竹駒町の交差点。
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町が大きいためか、車も多い。 もともと信号のない交差点は渋滞気味で、そこだけ見ればただののんびりした休日のよう。
足元にあるビニールハウス群も、一見流されてもいず無傷に見えるが。。。
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そんなはずもない。ただ、今泉街道の橋桁を越えるときに、かなり破壊力を減弱され、すべてを押し流しはしなかっただけ。
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骨組みだけ残った、ビニールハウス。
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津波は、ビニールハウスの中を、ビニールを引き剥がしつつ外を駈け抜けた。
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その反対側。斜面に叩きつけられ残された、残骸。

竹駒町、右折。陸前矢作・一関方面に。
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飴細工のようにあっけなくよじり折れた、ドラゴンレール大船渡線のレール。
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ここで、海から6㌔。 直線距離なので、実際はもうちょっとあると思われる。
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リアス配送センターがあったと思しき跡。
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今泉街道の渋滞。 中央、小さく見える青い標識は「直進奥州 左折陸前矢作」の案内板。 
とてもその先に、駅が在るようには見えない。
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被災地に来て、初めて見る’人間以外の生きているもの’。 しかし、なぜそこにいるのか、あまり考えたくない場所である。

そして、不意に、
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踏切がある。線路がある。 どこまでも続いているように。 枝が落ちたり木片はあっても、そこには日常がたたずんでいる。
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先ほどの、遠くから標識が見えた、ちょっと先。 決して町などなさそうだったその場所は、
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あっけないくらい、間違いなく平和な時間の中にいた。 陸前矢作駅には津波は来ていない。
数百㍍後ろには、なにも残っていないのに。

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by degipochi | 2011-04-22 13:00 | 陸前高田 | Comments(5)
Commented at 2011-04-22 00:47 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by degipochi at 2011-04-22 13:54
まだね、どんどん作る途中だからアップしなかったの。
でも、とりあえず揚げますわ。 パーツとして見てね。
Commented by ja1toep1 at 2011-04-28 20:47
この道は、長い直線なんですよね。川と、線路と直線道路が平行になっているところです。帰ってきたって気分になる場所のひとつではありましたな。
Commented by degipochi at 2011-04-29 14:58
ja1toep1さんへ
そう言う場所、そう言う道ってありますよね。
道は、あります。存外にあっけないくらい、普通に車が走ってます。
この、道が続いているという不思議な安心感は、帰ってからの実感でした。
Commented by ja1toep1 at 2011-04-30 18:39
この標識には、碁石海岸まで30kmとあります。実家から碁石海岸までは7kmあるので、いつも「あと23km」と思いながら走ったものです。
それぐらい、陸前高田市は広いってことです。
今は、加えて、何もない、ですかね。


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