陸前高田、最終写真
ゴールデンウィークの出足が、良くないようですね。それに比べて、被災地へのボランティアが殺到とか。
気を付けて行ってきて下さい。瓦礫撤去・掃除・保護活動に各専門的な活動まで、すべて大変だと思います。なにより怪我無きように。
ロニママさんに教えていただいた、釜石の復興ポスター復興の狼煙です。そうだ、ふざけんじゃねえぞっ





場所の説明に徹しております。地図をご参照下さい。高低、エリアなどは、国土地理院震災後の航空写真も参考にしてください。
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竹駒町から高田バイパスを通り、栃が沢を経由して高田の市街地を臨む。
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電光掲示板は消えている。
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電信柱も、これを最後に一本もない。
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左に酔仙酒造が在ったと思われる。中川原エリア。
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交差点(信号はないが)左折する手前で、800㍍先のマーケットまで見える。
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スーパーマイヤ。奥にNTT、マイヤの陰に陸前高田市役所。
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JAおおふなと高田支店。

館の沖から反転、再び西に向かう。進行方向左、森の前地域。
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国道340号に出る交差点。左にある、ドリームパークは、窓ガラスだけでなく窓枠自体がない。

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左折、海を目指し南下。高田市街全体を俯瞰する。画面中央に、先ほどのマイヤ。
建物だけでなく、電信柱・信号・標識・街路樹・ガードレールなどすべてのパーツがない。大槌町では4月2日の段階で、新しい電信柱が立っていたが、ここには一本も復旧して居ない。この先に電気を必要とする人家無しなのかと、被害エリアの甚大さを感ずる。
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大船渡線を越える、東浜街道の高架。この下のレールは判別できない。
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遠くに県立高田病院。
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この病院の4階に入院していた津波災害史研究者、山下文男さんの話では、一気に窓を突き破って水が襲ってきたとか。
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屋上に避難し、後に救助された人数は約100人。周囲は完全に水没した上、地盤沈下で4月3日の段階では水は引いていなかった。
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高田松原西交差点。正面の丸い屋根は、県立野外活動センター。
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道の駅 高田松原。
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まくれ上がった、アスファルト道路。
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ホテル キャピタル1000手前にかかる、仮設の橋。
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高田松原第一球場。
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雇用促進住宅 一号棟・二号棟。
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五階の一部にも、被害が。
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このあたりの道路は、海沿いでもあり被害が酷かったらしく、
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陥没、冠水が著しかった。
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よく見ると、生活用品が引っかかっていたり、
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まくれたと思われるアスファルトの一部が、ずれたまま残っていたりする。
バイパスが141号線をまたぐ、沼田跨線橋というのがあったらしいが、影もない。
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坂道を上る。だんだんとあたりの光景は平和に。釜石からの三陸道と同じく、こちらも出来て間も無い、県道38号線に入る。

広田半島へと。
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降りていくに従って、
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この小友町から先の惨状が、陸前高田市とひとくくりにされて、あまり報道されていないことが判明してきた。
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さらに、ここから、38号線を左折し小友小学校の方に上り返す。
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津波の残していったラインは、余りにも明瞭で、
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ちいさな坂を上りきった所は、ふつうの田舎の初春だった。
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平和な、景色の中で中学校の建物が大きく傾げている。 足元には津波が来ていた。
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そして、信号が立っている。のみならず、点灯している。なにか当たり前で、不思議で、奇異だった。
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手書きの避難所の看板。

友人の実家がこの辺だったかとあたりを付け、財当でしばらく車を停め、まわりを見渡した。
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珍しく暖かな日差しに、梅が咲いている。ここは、春だ。でも、、、、
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坂下の家の裏は、何もない。季節も色もない。

来た道の、一本坂下を戻る。
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先ほどは見えなかった、中学校の一階部分が見える。

ふたたび、広田湾に向かう。
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38号線に右折で戻る。交差点正面を見ると、角に三角コーンが立ててあり、左を見ると、
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大船渡線と交差しているはずの県道が続いている。線路の存在は、ここでもまったく分からない。

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小友浦。三日市方面。
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川西。リアス米崎工場。
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沼田あたり。
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跨線橋を反対側から見た。大破しているのが判明。
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水門に引っかかったままの瓦屋根。
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海と貝のミュージアム
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キャピタルホテル1000
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これだけ建物が堅牢なら残るのだなという、一例。ただ横を通ったときに、建物内から外れてぶら下がった鉄骨の立てる、
きぃ~きぃ~・・・・という哀しげな音が、絶えず風に乗って聞こえてきた。もしかするとこの町で唯一の「音」かも知れない。
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太鼓館のあった裏あたり。
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先ほどの県立野外活動センターを、海側から見る。

さらに戻り、酔仙のあたり。
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よく見ると、周囲には沢山のケースが、他の瓦礫とごちゃ混ぜになって埋もれていた。
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陸前高田で際だっていたのは、波の破壊力の大きさだった。スーパーマイヤに見られるように、外壁を紙のようにむしり取ってしまい、そればかりか堅牢な鉄骨本体さえ、原形を留めぬほどぐにゃぐにゃによじ曲げてしまっている。鉄筋コンクリートの建物が、なんとかその外観を留めていることを見れば、やはりその差は大きいと言うしかない。
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そして、線路。
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JR大船渡線は、今日(5月1日)の時点でさえ、気仙沼から先の復旧の目処はまったく立っていないと言う。
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ほぼ全線に渡って、ずたずたにされたレールが、たとえ近い日に復旧したところで、果たして人は利用できるのだろうか。

そして、これほど繰り返し被害を受けた町を同じ場所に復興するのか、路線もまた流されるかも知れないのに、同じ場所を走らせるのか。
明治の記録にも、被害の記録は克明に残っていた。→岩手縣沿岸大海嘯部落見取絵図

山積みされた問題をひとつずつ解決していって、もう一度、ひとの集い暮らせる安心な町を造るのに、いったいどれくらいの年月と、想像を超えた努力が必要か、数時間しかその地に触れなかった人間には、とても思い及ぶことではないけれども、
もし瓦礫のひとつをどける代わりに物を送ったり、誰かの肩を揉む代わりにメールや電話で言葉をやり取りしたり、
家を建て直したりするお手伝いをする代わりに、産地の物の消費を積極的に行ったり、そんなささやかなことで良いのであれば、
5年でも、10年でも、関わっていこうと思う。 おなじ気持ちの人も、多いんじゃないかな。 多いといいな。

もう一度、三陸の森を列車がコトコトと走り、町や駅に、明るい灯がともりますように。

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by degipochi | 2011-05-01 19:02 | 陸前高田 | Comments(16)
Commented by まりちゃん大好き~♪ at 2011-05-01 22:09 x
8枚目の写真 ちょっと怖いけど大丈夫かな?
Commented by degipochi at 2011-05-01 22:29
22:00頃にコメントくださった方。
検討の結果、下げさせていただくことにいたしました。ご指導ありがとうございます。
Commented by ja1toep1 at 2011-05-01 23:01
私の実家周辺で、今まで誰にも撮っていただけなかった写真が何枚か入っておりました。とても、ありがたかった。
学校の様子や、学校周辺の状況がよくわかりました。

破壊前の写真をいくつかもっているので、私のブログで比較したいので、写真を使わせてもらってもいいですか?
ダウンロードしての利用の仕方になりますが。。。

どのようなご指導があったのか、ちょっと気になりますけど。。。
まぁ、地元出身の私にとっては、そのひとつひとつの情景が宝のようです。瓦礫の山の中に、周囲の地形から、ここに同級生の家があったことを思い出す。同級生の顔を思い出す。同級生の声を思い出す。そして、また現実を見る。こういうことを繰り返しながら。。。
こうやって、見せていただくことで、自分の中の壊れた何かを修復していくのかと、本当にありがたく拝見させていただいている【人】もいる、ということも、ここを訪れる人にも知っていただきたいと思います。

現地、お疲れ様でした。そして、数々の写真、ありがとう。本当に、ありがとう。
Commented by degipochi at 2011-05-01 23:24
ja1toep1さんへ
見ていただけましたか。ありがとう。
写真は、どれでも使ってください。確かにあの日の、陸前高田です。
何事もなければ小春日和の、花の芽吹く平和な風景だったでしょう。
私は、そこからかつての高田・小友町を、想像力をかき立てて作るしかありません。どんなに穏やかな景色であったか。
ご指導の方は、気になさらなくてもだいじょうぶですよ~。内容のことではありませんから。
いただいたコメントは、とても嬉しかったです。よかった、書いて。
こちらこそ、ありがとう。できることはこれだけです。。。。
Commented at 2011-05-02 01:42
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by degipochi at 2011-05-02 08:30
鍵コメさんへ
そりゃあなた、エキサイト内からコメしたら、すでに名刺を持って訪問してるんだから、わざわざはいらないのよ。
名前が書きたかったら、いったんログアウトなさいまし。
それと、その「既視感」はちょいと違うバージョンで、こちらも経験しております。
なんだろな。共有感覚なのかな。そんなら、それを大事にしたら、誤解とかかなり減るんだろけどな。
Commented by coo at 2011-05-02 10:11 x
陸前高田の市街地に入って海が見えるのがとても不思議でした。
あそこには立派な松林がありましたから、海が見えることはなかったんですよね。
市街地も言葉は出てきませんでしたが、小友町方面に行ったときはショックでした。
そして道路1本で全壊している家と無傷な家という津波の境目も不思議な感じでした。

前記事の不来方バウムは私も好きなんですよ〜。
バウムクーヘンはそんなに好きじゃないんですけど、これはなんか味が濃くて好きなんです。
ぜひ、また発売してほしいです!!
Commented by たまりん at 2011-05-02 11:30 x
母の実家が陸前高田の気仙町にあります。べらり流されちゃったみたいです。高田松原近くのお世話になっている方の美容室も土台からすっかり持って行かれてました。矢作町のおばちゃん家もがっつり一階はやられたようです。まさかあんな山ん中まで行くとは誰も思わなかったと思います…
Commented by ja1toep1 at 2011-05-02 21:50
写真を早速、使わせていただきました。
Commented by degipochi at 2011-05-04 22:11
coo さんへ
その話を聞いて、海を見たので、「いやそれは、有り得ないだろ」と思ったんですよ。
だって、あの(元)駐車場から見た海岸は、それはそれは見晴らしも良く、ただがらんと泥と海だったじゃないですか。
そのあと、どうしても見たくて「松原」の写真を検索しました。ほんとに散歩で迷うくらいの松林だった。。。
その場所を知っていて見るのと、知らないで見るのはこんなにも違うかと思い知った松原でした。
そして、バウムクーヘン。美味しかった♪ ですよ。いっつも食べられると安心してたのにねぇ。すべて一期一会なんだなぁ。
Commented by degipochi at 2011-05-04 22:21
たまりんさんへ
あっそこは、、、、 確かに直撃くらってますね。。。。
今回、記事を揚げるのに際し、もう一度場所の確認を徹底的にしたんですよ。
松原近くの建物は、徹底的に何もなかったですね。海苔をいただいた磯ヤ海産さんとか、影もなかった。
無事だったのかなぁと思いますが、確認のしようもなし。きっと、そんな方たちの知り合いが、うんといっぱいいるのでしょう。
矢作町も、駅近くは大丈夫だったんだけどねぇ~(マリちゃんの行ったのは、矢作の幼稚園だった)、
こちらもわずかな差でやられてるんですね。 海から7㌔もあるのに。やはり信じられないです。
Commented by degipochi at 2011-05-04 22:23
ja1toep1さんへ
どうぞ、十分にお使い下さい。
他にも小友近くで撮った写真は、もう少しだけど在ります。必要でしたら言ってください。
Commented by 斉藤 at 2011-05-07 21:44 x
道の駅をテーマにしたソーシャルサイトを運営している斉藤と申します。
東北地方では、各道の駅の情報が不十分な状態で、今年も復興支援として道の駅スタンプラリーが開始しております。
スタンプラリーを行っている方へ、道の駅大谷海岸の様子を伝えたいと思い、ご相談があります。
ブログに掲載されている道の駅高田松原の写真について、当サイト(道の駅スタンプラリー部)への掲載を許可頂けませんでしょうか。
突然のお願いで申し訳ございません。よろしくおねがいいたします。
Commented by degipochi at 2011-05-09 17:28
斉藤さんへ
お返事が遅くなりまして、申し訳ありません。
写真の件、了解です。遠慮無くお使い下さい。
また、他にも、意外に話題になっていない「道の駅 東和」の壁にヒビが入っていたり、被災された方に「ご自由にお持ち帰り下さい」と書かれた箱があったりという写真もありますが、こちらはエリア外でしょうか?
もし必要がありましたら、またコメントをいれてください。
こちらこそよろしくお願いいたします。
Commented by 斉藤 at 2011-05-09 21:26 x
お返事ありがとうございます!
全ての道の駅に関する情報を集めていますので、他の写真についても頂けたら大変うれしいです。私のメールアドレス(miti-no-eki@box-style.com)に添付頂くか、管理者様のブログに掲載されたものを私がコピーしてもかまいません。あるいは、道の駅スタンプラリー部は、各道の駅毎に自由にコメントや写真投稿ができますので、当時の様子をコメント頂きながら投稿頂ければ、他の利用者にも思いが伝わるのではないかと考えています。管理者様にとって最も負担の無い方法で、写真を頂ければと考えています。
大変お手数おかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
Commented by degipochi at 2011-05-10 13:01
斉藤さんへ
了解です。では、のちほど一部はコメント付きで投稿、他は添付で送ることにします。
時間が余り取れませんので、少し遅くなりますがお待ち下さい。
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