鵜住居・両石の6月
たまりんさんブログで、大槌・両石・波板海岸の3月11日映像をアップしてましたね。あの凄まじさ、やはり理解も想像も越えています。
両石の津波映像へ
この、両石という集落は、ひとつ上の鵜住居と共に、大槌と釜石をつなぐ国道45号線・JR山田線に面した、小さな漁村でした。
そして、震災直前に開通した三陸道(釜石~大槌)と並行し、重要な通勤路でもあり、大槌の学校がほぼ使用できなくなってしまったこの春以降、釜石へと越境して通う子供たちの通学路にもなっています。

日々、車の窓から見える景色は、こんなものになってしまいました。
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大槌から鵜住居へとむかう、国道45号線。
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「津波浸水想定地域ここまで」の看板が、ぽつんと立っています。「想定区域」は、かなり当たっている場所が多いのですが、
この鵜住居では、まったく予想しない標高まで被害を受けたことになります。
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鵜住居のメインストリート。正面に見える茶色の建物を左にはいると駅、海は直線で1キロ以上向こう。当然全く見えません。
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三階は、一瞬、被害に遭っていない様に見えましたが、徹底して清掃していたのかも。 
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駅入り口を右折し、両石方面に向かいます。
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この国道よりさらに海寄りの道を、海際にある鵜住居小・釜石東中学校の子供たちが、日頃の避難訓練の通り整然と避難していきました。さらに指定の避難所にたどり着いたのに、ここでは危ないかも、との判断から走りに走って、峠まで登り詰め、ついに一人の犠牲者も出さなかったと言います。
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海などまったく見えなかっただろうあの日、よくそれだけの判断をしたなと、日頃の意識・訓練の取り組みなど考えさせられます。
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彼らが一晩を過ごした、恋の峠に向かう途中、鵜住居を振り返ります。
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そして、両石へ。
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三陸道をくぐり、今は列車の音もしない山田線の下をくぐると、すでに押し込まれた瓦礫が堆積しています。
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谷間の水海川(ご指摘いただきまして、水海川は釜石方面に延びているものと判明しました。河川名は調べるのがなかなか難しい。訂正します)に沿ってできていた両石の町は、ほぼまっすぐに海に向かっており、
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集落の奥の奥まで、津波は到達したようです。
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45号線、海に向かって↑左と↓右の光景。
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両石の駅は、谷間のため非常に高い所にあり、他の町と違って損壊を免れました。しかし、町はほとんど形をとどめていません。
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画像で、町を守ろうと必死に水と闘ってた、防潮堤。
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お菓子でも引きちぎるように、
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あっけなくもぎ取られ、
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国道の片側車線と共に完全に消失してしまいました。 6月当時、懸命な復旧作業中、絶えず片側通行で、赤信号になれば、
いやでもこの光景を数分にわたって、じっくり観察することになります。
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両石の水門。 陸側に堆積する、大量の瓦礫。
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この道を通らないと釜石には行けない重要な国道は、津波の被害の大きさをまざまざと見せつけられる最前線でもありました。
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今はこの撮影から二ヶ月、ずっと片づいていると想像されます。しかし、それは、より何もない空間になってしまったと言うことかも。
ここに町があったという記憶、それが残骸さえもなくなってしまった光景は、とてつもなく寂しいように思えます。

by degipochi | 2011-08-31 01:17 | 大槌町 | Comments(2)
Commented by たまりん at 2011-08-31 12:10 x
んとね、片岸・鵜住居・両石はほぼ壊滅状態といっていいでしょうね。。。奥の集落で、無事なところはありますが。
後から東中の子どもたちが自分たちの判断で最初の避難場所では
危ないという事で、鵜住居小や近くの保育園のちっちゃい子の
手を引いて峠の上まで避難した・・・と聞いて、まだ自分たちだって
子どもなのに、よくそこまで・・・と泣けてきました。
自分がそこにいたらそういう的確な判断が出来ただろうか・・・と。
大人の方が逆に「まさかここまでは来ないだろう・・・」と、変に
油断してしまったり・・・実際、避難せずに流されてしまった方もいたようです。
又、鵜住居では避難場所になっていた防災センター(駅付近)に
たくさん避難していたのですが、そこも2階天井近くまで水が入り
たくさんの方が亡くなりました。今回の津波は想定外。1000年に
一度・・・とは言われていますが。。。でも、ほんと想像もしていなかった
光景が広がっています。現実だけれども。。。
Commented by degipochi at 2011-08-31 13:19
たまりんさんへ
ああそっか。。。 三陸道を降りたところが、片岸っていう場所でしたね。あそこにも家があったのは、どうにも信じがたく。
特に今回は、綺麗さっぱり除去されちゃって、なんの気配もなかったなぁ。寂しい風景ですね。
釜石東中の話は、津波直後に、ずっと釜石などを回って津波に対しての心構えを説いていた大学の教授かな、
その方が鵜住居を訪れて、こんな所まで来るとは・・ 想定できなかったと言葉を失っていたのをテレビで見、
でも良く指導してたと感動した記憶がありました。そのときは、あんなに海沿いに建ってる学校とは知らなかった。
駅で海から1キロ。来るとは思わないよね。でも、平らだったもんね。
外の見えない建物内に避難すること自体が、状況が分からなく危険だったんだな、と思います。
でも、後から言うのは簡単だから。。。 ねぇ。


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