マリちゃんワールド:南三陸町
2015-02-02T02:01:40+09:00
degipochi
コッカーのマリちゃんと国内旅行
Excite Blog
三年と十ヶ月という年月
http://degipochi.exblog.jp/24082873/
2015-02-02T01:54:00+09:00
2015-02-02T02:01:40+09:00
2015-02-02T01:54:16+09:00
degipochi
南三陸町
不特定多数が殺しあう、争いなんてのは人間だけの都合。他の動物は、とばっちり食うだけです。
平和でなければ、ジジちゃんみたいなレスキューされた子をボランティアで助けていこう、なんて余裕はなくなっちゃうでしょう。
ようやくここまで来たんだから。拘縮していたとみえた股関節・肩関節が、すこしずつストレッチされての万歳。
犬のヨガってものがあるそうで、人間と一緒にポーズをとることで自分だけじゃ出来ないいろんなストレッチが出来るとか。
たしかに、犬はネコと違って自分ではあんまり「伸びたり捻ったりのポーズ」はむずかしいかもね。
二匹でなら、ならんで連続写真にも耐えられるようになった♪
・・・・・マリちゃんの目が怖い・・・・・(汗)。
だいぶ座っていても腰が浮きます。移動が猛烈に早くなって来て、下手すると歩いているのに先回りされ、踏みそうになったり。
あとは、後ろ足の返しなんだけどな。 どうも前に前にという気持ちだけが強すぎて、後ろ足を動かすの忘れてる。
脳梗塞のリハビリみたいに、足の曲げ伸ばしをしながら肉球を刺激して、自分で歩いている錯覚を起こしてもらうよう訓練中です。
さて、そんな、雪の降った週末。
南三陸町の友人が、東京に来ました。
遊びに来た・・・て言うんだったら案内もするが(案内出来るのか?はともかく)、残念ながらそうではなく、
日本橋という、弩都心で行われた講演会にて、語り部として見えたのでありました。
長くマリちゃんのブログをご覧の方は覚えているかもしれませんが、震災直後、大量の毛糸をまず最初に届けた南三陸町のお宅です。正式には、平貝という地域ですが。そこのお母さんが、万感こもった顔で「毛糸がこんなに来るなんて・・・」と涙していたの、覚えてますでしょうか。
そのお嬢さんである、ゆかりさんと言う方が、伺うたびに「何が自分たちに起こって、今、どうなりつつあるか」をそれはそれは熱意を持って語ってくれていました。
ご存知の通り、南三陸町の町は中心部ほぼ消滅。安全な高台にあったはずの自宅は半壊、家財は流失、愛犬も流され、ピアノ教室をいくつか持っていたのも、すべてなくなってしまいました。
今は、家も改装され、ピアノの教室も、全国から集まったピアノや電子ピアノを使って、また子供たちが習いに来たりしているとのことです。ただ、南三陸を離れた子も、震災の時に亡くなった子も居り、まったく前のようでは無いそうです。
ゆかりさんにネリマに顔出したら?と言った時、「今回は局長が一緒だから」と、時間がなくて無理無理、と辞退された、
「局長」こと、南三陸町社協の事務局長さん。
この方も、津波の時にイベント中だった327人もの方を助けた傍ら、奥さんをなくし、未だ見つかっていないとのことでした。
大企業から、多数のボランティアの方が継続的に南三陸へ訪れています。現在なお、です。当然のこと、繰り返し訪れる方も多く、そこで現地のコーディネートをする社協の方とか、被災エリアの案内をするゆかりさんのような方とかが密接な交流を深めて、今回のような東京での講演会に発展したようです。
映像を挟みながら、どれだけのボランティアの方々が尽力してくれたか、またそれでは到底足りない「復旧」ではなく「復興」への援助をどれだけの企業からこれまであり、さらにこれから続いていくのか、復興のためにどんな努力やアイディアが必要なのか。
そしてまた、震災が東京で起きたらどうなることが予想されるか。
淡々とシビアに語っていただきました。
印象に残っているのは、「被災した個人は孤立してはいけない」ということと、「(津波などの)その瞬間に於いて、使命感は捨てなければいけない」ということでした。使命感を持って任務に当たった者ほど命を落としている。警察、消防、消防団、市役所職員など・・・・。それがどれほど助かった後の救助や被災状況の把握はじめ、町の機能を維持するのに必要だったか。そして、東京が孤立したら「食の補給」は上(空輸)からしか来ないだろう、それまで一週間は持たさなければならないと予想されるとか。
いや〜この講演会、事前にもうちょっとしっかり知っていれば、ぜひもっと多くの方に聞いてもらいたかった。雪にも関わらず会場は満員でしたが、立ち見でも良いから呼べば良かったなぁ。
そして、ゆかりちゃんは自分の体験を語りました。
最初の一年は、来年の3月11日がきたら・・・(すべて夢なんじゃないか)と思い、次の一年はただただ沈み、三年目にして諦めることを知ったと。これは、奇しくも他の地域での方からも聞きましたが、三年経ったら「これが現実なんだ、と諦める決心がついた」「仕方ないこととして、前を向こうと思えて来た」と言うのです。
やはり、時間が経つということでしか変えられない、なにかがあるのでしょうか。
そして、三年十ヶ月経った今、ひとつひとつ先に「予定」という希望の杭を立てながら、その「予定」までは頑張ろうと思う、と言いました。
町がこれまでと全くちがうものになっていくけれど、自分の通っていたピアノ教室が10メートルかさ上げされる土砂の下になって、もうそれがどこだか分からなくなっているけど、一喜一憂せず前を見ようとする確かさを、その話し方から感じました。
最後に、長渕剛の「ひとつ」と、中島みゆきの「糸」を歌い上げ、この講演会は万雷の拍手の中、終了しました。
こういった講演会は、基本的に写真など禁止かと思っておりましたが、
今回の講演の趣旨が「なるべく多くの人に知ってもらう」のを前提としているからか、シャッターの音も数多く聞かれまして、講演内容も非公開といった趣旨は一切無いようです。
復興自体はまったく道半ばである、ということを東京の方に、少しでも伝えられればということでした。
と言っても、具体的すぎてここには書けないこともけっこうありましたけどね。
今度は、ネリマに顔出して、マリちゃんたちに会っていってくださいね♪
おまけ
南三陸に関しては、ゆかりちゃんに案内してもらった「観光客の行かない南三陸町ツアー」がありますので、
ちょうどいい機会ですからまたご紹介します。 ちなみに、ゆかりちゃん命名のツアーです。
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アルバイト求むなのよ
http://degipochi.exblog.jp/22458406/
2014-04-17T00:48:00+09:00
2014-04-17T11:40:30+09:00
2014-04-17T00:49:02+09:00
degipochi
南三陸町
聞いてんのか、こら 撮った本人。
400枚見たとこで、いっぺん心折れまして。 この10倍あるんだと。やめよっかな。。 とか暗闇からの囁きが・・・・
いや、そんなことは言っておれん。でないと、せっかくの今回の旅行が、まったく土と埃と忘却に埋もれてしまう。書くぞ。
で、なにを書かなきゃいけないって、そりゃ~いろいろありますけれども、まずは、帰ってからの周囲の方々のご質問でした。
「どうだった? だいぶ良くなってた? もう落ち着いたの?」
その質問は・・・・・ えっと~・・・・ まぁおいおい見ていってくだされば、わかりましょう。
まず、行きしなから思い起こしましょうか。 そうそう、安達太良SAには、こんなオブジェと自販機が設置されていたのでありました。
お近くの福島県須賀川市が、ウルトラマンとこのM78星雲と姉妹都市を結んでるんだとか。
なんかあったら、遠く星空のかなたから、ウルトラマンが助けに来てくれるんだ。 すげぇな。
そして、降り続いた雨雨雨
ずっと北上中、こんなかんじ。 当然、犬も散歩になんか出せず、
車中待機。 あ、マリちゃん出てるな。と思った方。可愛い~と言った方、外れ。出しててダイジョブなの? と思った方。当たりです。
一列目に食い物のない状態でイスの背に縛っておいたんだが、あっけなく二列目の床に置いてあったロイズのポテトチップチョコ、
きちんと箱にしまって蓋も閉まっていたが、
全部食われました。
今回の旅の同行者が、この時点ではまだマリちゃんを、ただの「いたいけな犬」だと思っていた模様。だから悪魔だって言ってるのに。
ま、そんな阿鼻叫喚を乗せつつ車はひた走り、まずは最初の立ち寄りスポット、石巻の道の駅、「上品の郷(じょうぼんのさと)」に到着。
雨あがる。 やはり、ひめポチ沿岸部晴れ伝説は、いまだ健在らしい。サラっぴ、かわいい~と言ってくれたお隣の車の方に飛びつき、
えらいことビショビショを擦り付ける。一瞬の悲劇。
遅い飯を食う。
そして、トイレ散歩。けっこう広い芝生スペースがあるので寄ってみたら、
震災の被害のあった車両の展示であった。 グニャグニャになった標識と。
あと、こんなポスターが。これは、去年の夏、雫石の道の駅でも展示されてたけど、ぜひどなたにも見ていただきたい力作です。
良く目に付く場所に、一面に張り出されています。
そうそうここはもう、石巻市だったっけと改めて思います。だけど同時に、ここは大きな町、いや、都市なんだなとも。
このような展示品は、間違いなく外部から来た人に見てもらうもので、もうちょっと北に上がっていくと、観光で来た人に見てもらうことを意識して設置された、こういった展示物は一切見当たらない。ここは平和な場所なんだな~とかえって不思議な感覚になります。
道の駅で、石ノ森章太郎の009キャンディーなど仕入れ、好天を信じてさらに東に。
南三陸町にはいる。 そして、
この標識があったら、そこからは相変わらず別世界。
途中、気仙沼線だった路線と並行して走る個所があるんですが、
すっかりバスレーンのためにリニューアルが完了しております。
【陸前戸倉」駅。 これも、バスのもの。線路も列車も、すっかり存在を消しており、こりゃこのまま廃線だなと誰もが思うでしょう。
そして、来たことが無ければ、なかなか信じられないと思いますが、
水門付近は、どこもこんなんです。管轄が違うということで、どんなに道路を直していても河川敷や水門はあまり変わってません。
でも、管轄どうこう言ってるうちに、この間のチリ地震みたいなのが津波発生させたら、少々の高さでも楽に超えてくるよね?
その辺の安全管理は、どうなっているのであろうか。 それでなくても地盤沈下も著しく、今回の長雨だって
こんなことになってるのに。
兄ちゃんが ぴっぴ と棒を振ってるので、工事の案内で立ってるのかと思ったら、「まだこの水深なら通れる」ってGOサインを出す係なのでありました。
・・・・・改めて見返すと、すごいな・・・・
で、問題となるのは実は水深ではなく、道の左右どっちからあふれてきた水か、ちうことなんですな。
どういう事かというと、道の右側はすぐ海。左側は水没した土地であります。ということは、右は海水、左は真水。
もし今走っているのが海水の中なら、とっとと下回りを洗車しないと、あとでとんでもないことになる、ということで。
どうもこの時は、左の土地からの水だったらしい。で、このあとも南三陸町にはいったら、
また水没。
もう、止まらないでいただくことを祈るばかりで。
ふつう、この喫水線だったら、通行止めだと思う。
でも代替え道路ないから、ねぇ。。。。 ホントに走れないところは、
こうなってますが。
遠くに、防災合同庁舎を望む。
同行者ひとり、沿岸部は初めてということなので、では見ていった方がいいでしょうと左にハンドル切ったら
マジの通行止めでした。 そう、ここは前に通った時に、「通行止め」の看板が無かったけど大きく水没していて、地盤沈下が同じ町中でも場所によって相当違う、ということを実感されられたところでした。実感した時には、思いっきり窪みにはまって、落とし穴に落ちたみたいにショック受けたけど。
それでもって、その傍ら、
不思議な小山が、出現しております。
かさ上げするんだって。見えるかな? 10メートル。
10メートルって言ってもピンとこないけど、3階建て丸っと、てことですよ。それって・・・・ いや、この話は他でも進んでるので、また後ほど。
とにかく、ようよう南三陸町のさんさん市場に到着いたしました。 最後がスリリングであった。
まず、重たい話題はここまでといたしまして、
さんさん市場は「はしもと」の名物、海鮮丼と穴子重をご紹介しつつ、
本日、最初の記事を終わらせようかなーと考える次第であります。
情報量が半端なくて、少しずつしかアップできません。 お付き合いくださいますよう、お願いする次第で。
これ書くのに2時間かかった。 腰が痛ぇよ~・・・・・・
写真分類と、どこだったかタグ付けしてくれる、奇特な方募集ちう。薄謝・・・・ 「マキハラ」でどですか?
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カモメと言ったら、パンでしょう
http://degipochi.exblog.jp/20890190/
2013-08-24T02:29:00+09:00
2013-08-24T02:32:18+09:00
2013-08-24T02:29:31+09:00
degipochi
南三陸町
だ~れも居ない小さな漁港は、泊漁港と言うようで。
うっすらもやのかかる中、小さな漁船が何艘も浮いています。
ごくごく普通の漁港、普通の光景なんだけど、なんか違和感有るな~と思ったら、
そう、地盤沈下しているのでありました。
陸前高田で1㍍くらいと言うけれど、このあたりはどれだけ下がってるんだろうか? 満潮時は、相変わらず水没するのかなぁ。
なんてぼんやり考えてたら、
「はやく、はやく~」 て声がして、子供達が駆けてきた。 そして、あとを追ってお母さん。
子供達は、袋を取りだし、びりっと破きます。
すると、
一斉にカモメが。
そうそう、よく見る、この光景。 宮古とかの遊覧船でも、飛んでるカモメに餌付けしたりするじゃない? あれだわ。
幸いにして、うちの悪魔も若人も何が背後で始まったかご存じない。
うしろを振り返ったら、まちがいなく惨事が起こるので、とっても朗らかに笑顔を作って2匹を呼びます。
捕獲。 これで港の平和は守られた。
子供達、全身全霊をこめて、ちぎったパンをぶん投げてます。
でもね~惜しいかな、力が足らないんだよね。 パンはほぼ垂直落下して、カモメたちはわらわらと岸壁すぐ近くで押し合いへし合い。
これが、子供達とカモメたちの日課らしい。 泊漁港での、これが日常。海と、子供と、カモメと。
回りを見れば平和じゃない傷跡が、いやでもまだまだ目に入ってくるけど、それも含めてこれが日常。
だって、そんなのに関係なくカモメは餌ねだってくるし、子供達は楽しくて仕方ないし。
「もうこれでパン終わりだからねっ」とかお母さんに言われて、「うん、分かってるーっ」と言いつつ、最後のでっかいのを呆気なく
海にぶち込んでしまい、はいこれにて「本日のランチ」終了~♪
気が付けば、さっきよりずいぶん海面が上がってる。 そろそろ、引き上げ時ですかな。
「あっワンちゃんがいる~♪ かわいぃ~っ」
ちて、こうなる。 さわって良いですか、だいじょぶですよ~のお約束の会話をし、カモメの後に犬までさわれちゃう、今日は良い日。
まさかこの港で、オヤツ欲しいヒトッを披露することになるとは思わなかったが・・・・ 熱烈リクエストに、ひめポチのキレも良し。
君たち、この海を見ながらここで大きくなるんだね。海が好きで怖がらずに遊びに来るんだね。
おかあさんの車にきゃっきゃと乗り込み、すぐ奥の坂の途中で自宅に入っていくのを見おくり、気分は複雑。
だってその家のちょっと下は、たぶん「家があったらしい」けど今は何も残ってない。。。 そんな場所です。
逞しいなと感心しつつ、また宿へと戻るひめポチず。この坂、こんなに急であったか・・・・・(汗)
で、ふと旅館の隣を見れば、
仮設住宅が建ち並んでいるのでありました。 道理で、車の往来がけっこう有ると思ったわ。
ここは高台、と言っても、せまい半島の突端。どっちに坂を下りてもすぐ海ですからね。震災後しばらくは、道路も集落も
メチャメチャだったと聞きます。かろうじて、背骨みたいなこの道の両側が無事だった。らしい。
そんな奇跡のように守られた、「ニュー泊崎荘」。 工事関係の人達でほぼ満室でした。震災以来ずっと、頑張ってきたんですね。
はやく釣り人や家族連れで満室、なんていう平穏な休日が来ますように。 それまで、もうちょっと(だといいな)頑張って下さい。
そしてひめポチは、北を目指す。 さてその北で待つモノは~?]]>
泊崎半島をご案内いたしましょう
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2013-08-21T23:48:00+09:00
2013-08-21T23:50:41+09:00
2013-08-21T23:48:10+09:00
degipochi
南三陸町
おかあしゃん、南三陸町の「さんさん市場」でチップ買ったからと言って、やたらめったらシャッター押すのはやめて下さい。
でも、写真に写っているのは、確かに一枚一枚がドラマなんですな。 これは要らない、とか言えないものばかり。
たとえばこちら。↓ 歌津のGS。震災当初からこの看板を掲げている。途中、字体が変わってるから、書き直したと思う。
中には文章はめんどくさいから読まない、なんちう人も居ると言うし~・・・・ わかりました、写真優先で解説ちびっとで参りましょう。
そのくらい、今回写真多いです。 ま、さくっと付いてきて下さいませなのよ。
南三陸町を北上、歌津の「井里前福幸商店街(いさとまえふっこうしょうてんがい)」を通過して、右に曲がると泊崎半島です。
今回の旅行初日の宿は、この半島の突端、道がどうなってるのかそうとーに不安でありましたが、
あら、なんか可愛いじゃない? 「うたちゃん」とな。 そう言えば、数百㍍手前にあったな、うたちゃん橋。。。。
かつての町の中、崩落した45線大橋の並びに。 当然、使用不可。
そうこうするうちに、道は浜に降り、
なんだこのガードレール、どうして一角だけ狭い? とか言ってる間に
館浜、通過。 砂利敷きに土嚢。
板橋(だと思う)通過。 これは、帰りの画像。
なんかぐしゃっとしてるな~と遠くから見えたのは、
近くに寄ってみれば、崩落したままの防潮堤だったり、
で、その代役はここも土嚢。 防潮堤でも防波堤でもなく、どこに行っても港の主力は土嚢の山。
ちょっと集落に入れば、ここに家のあった証拠に、あちこちに塀が残っているし、
港に船はいっぱい停泊してるけど、コンクリートの地面でなくて砂利の箇所があるし、
ここの防潮堤も、
ここも、、、 壊れたまんま。
来年までかけて、工事中と言うけれど、歌津の町はともかく半島に入って「どんどん修理している」光景は、見ておりませぬ。
いま、ふたたび津波でなくともちょっとひどい台風の高波が来れば、ひとたまりもないなぁと心配するけれど、
やはり、今出来ることをするしかないんだな。 昨日も今日もそして明日も、日々の生活は続いていくんですな。
ただ、時々出現して、最初の頃はなんだなんだ?と思ってたこれ。
ダブルスタンダードみたいな、ガードレール。 こちらは、
こういうことでありました。
道補修しないで、そのまま内側にガードレールだけ付けちゃったってこと。
応急処置か恒久的なものかわかんないけど、この崩落した下はだいじょうぶなのであろうか? 雪庇みたいになってはなかろうか?
きっと2年半経ってずいぶん道も安全・通りやすくなったんだろうけど、まだこんなんです。案内も表示も特にないし、慣れてないと
大変です。島なのでけっこう霧も出るし・・・・ て言うか出たし、夜、街灯の全くないこの道を走るのは無理。早めの到着がお勧め。
で、ようよう到着した「ニュー泊崎荘」ですが、
一応建前といたしまして、抱っこかゲージでロビー~廊下は通過、て話だったんだけど、女将はじめスタッフだれ一人気にしないので
目立たない範囲で自由に振る舞わさせていただきました。 みなさん笑顔でフレンドリーで、犬的に居心地居たって良し。
食事も、海のものメインでなかなかようこざいました。 特に、イカの陶板焼きは柔らかくて絶品でした♪ イカって柔らかいんだね。
ただし。 当然、量が多く食べ切れませんでした。 旅館のそういうとこが、いつも残念なんだよね~。
あと、温泉ではないが浴場もちっと趣向があって、
なぜだかぴよちゃんがいっぱい居る。 なんでこんなに浮いてるんだか、ナゾ。中には水が入っちゃってひっくり返ってるヤツもいる。
良く顔を見ると、顔つきや目の大きさなどバージョンがいろいろあるので、わざわざ買い集めたモノと思われる。とにかく賑やか。
で、一汗流して、
散歩に出りゃ、すぐ目の下は港であります。
霧が出てきてたんで、ちっとだけ散歩すっかとワンずと共に港に降りることに。
で、この港がまたなかなかだったんですが、いくらなんでも枚数が多いので、、、、、
また明日にいたしましょか。 なにせ3000枚、お撮りになる方がいるもので・・・・ 分類だけでも死にそうだなのよ。
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まず手始めに、ロールケーキ
http://degipochi.exblog.jp/20875441/
2013-08-20T14:23:00+09:00
2013-08-20T14:25:11+09:00
2013-08-20T14:23:04+09:00
degipochi
南三陸町
今回のテーマでございますが(メチャメチャになったが)、とりあえず! 「東北グルメ旅」であります。
本日、歌津は泊崎半島「ニュー泊崎荘」さんから最初の一品、、くりちゃんロールケーキが届きました。
これね、生わかめロールケーキ。 うげっと思う人も居ると思うけど、なんのあなた。けっこうイケル。夏場にこの塩気は合うなのよ。
・・・・ま、賛否両論だ、とは言ってたが。
盛岡のぽん母さんといただきました。ぽん母さん、食べる前は、「生わかめぇ~??」って言ってましたが、食べたら黙った。
けっこう「有り」だったらしい。 不思議なもんだよね。
この、「ニュー泊崎荘」。南三陸町のちっと上、歌津(うたつ)と言う町から半島に入っていき、そのほぼ突端にある。
道中の紹介はこの後するといたしまして(けっこう途轍もない)、
旅館の売りのロールケーキは南三陸町のシンボルみたいになってる。
旅館のロビーで、いっぱい冷凍庫に並んでる。お日持ち、一ヶ月になっております。 解凍したら3日ほど。
先輩は、大魚を狙って居るんですな。。。。 誰もいなかったら、冷凍庫の蓋開けるね。
で。 まぁいろんな種類がある。
20種類くらい? 地域性を生かしてずんだとか、わかめとかもあるし、定番のかぼちゃ・抹茶・メープル・コーヒー・・・・etc。
今回、ちっと多めに買ってきましたんで、下記のモノをお譲りできます。 試食したがどれもけっこう美味しく頂けますなのよ。
「コーヒー」 「生わかめ」 「くるみ」 「メープル」
ロールケーキが好きな方、南三陸町おこしの「絆ロールケーキ」は如何ですか~?
当然、まだまだまだつづく。
いたいけな若人は、いつまでもちっちゃな試食品にこだわる。。。
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南三陸着
http://degipochi.exblog.jp/16265212/
2011-09-11T11:51:00+09:00
2011-11-20T00:06:43+09:00
2011-09-11T11:46:51+09:00
degipochi
南三陸町
クリスマスの時までに、端切れがあったら嬉しいとのこと。去年まで使っていた布は、全て流されました。
それにしても。。。
やっぱり晴れるんだよね、沿岸部…。]]>
頑張るライフライン
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2011-08-27T14:05:00+09:00
2011-11-20T00:02:23+09:00
2011-08-28T13:56:45+09:00
degipochi
南三陸町
移動セブンイレブン。 物によってはATM機能付き。
これは、ものすごくありがたい。 だって、町には(この場合は南三陸町)銀行の一軒だって残っていないわけだし、だからと言って峠を越えて隣の町へ、と言ったら石巻? とにかくとてもつなく遠いわけです。
続いて、こんな
瓦礫と廃棄物の隣に、
プレハブの仮設セブンイレブンあり。
ちゃんと、仮設トイレもついてます。手洗いもあり。
コンビニはまさに、町のオアシスか命綱とも言えるでしょう。35度近かった町の中で、ここに来れば少しだけど涼しく、
品物も揃っており、
ボランティアの方々の買い出し、車で来る方などで大変活気に満ちておりました。仏花・団子などのお供え物もありました。
6月には、直ぐ下まで取りのけられない瓦礫があり、
すごく内陸にはいるし、坂のてっぺんなのに、まさかここまで来たとか?と思いながらも、
実際、しんと人気がない白い窓を見ると、やられたんだな・・・と 納得せざるを得なかった、名足のファミリーマート。
無事、復活。
こちらも千客万来。
ほかでも、
プレハブにて仮営業中のとなりが、
こんなにダメージをうけてて、それでも大分改装が進んでいるようで、さらにとなりが、
ガソリンスタンドだったりすると、どれくらい努力してここまで復旧したか、と気が遠くなります。
大谷海岸付近
原型とどめない元の店の残骸のとなりで、
とりあえず、始める!て店や、
まったく手つかずにしか見えない家のとなりで、
なんか、割と平常営業な(でも屋根無いよね)感じで、話し込んでいたり。
そうそう、ここも復活していました!
道の駅。 よ~く見ると、はまなすステーションの文字がぶら下がってたり、二階のレストランのいすが積み重なったり、
見切り発車ではありましょうが、とりあえずやろうって意気込みは十分です。ここが開いてるだけでも、ずいぶん人の動きが出ます。
まだまだ、報告しましてよ♪]]>
南三陸町、志津川の町は
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2011-08-26T10:33:00+09:00
2011-11-20T00:01:35+09:00
2011-08-27T10:24:30+09:00
degipochi
南三陸町
緑って、いいのかなぁ。 さわやかな色が風にそよいで、平和な雰囲気を漂わす。 その下に瓦礫を抱えて。
気仙沼線のトンネルは、線路だったところまで緑に満たされてた。
そして集められた瓦礫の山だけが増えていく。 ここはまだ、低いほう。
原爆ドームのように、保存されることが決まった防災対策庁舎。
綺麗になった。 でも、ただの鉄骨になって、なんの記憶も呼び覚まさないものになった。 これで、いいのかなぁ。分からない。
もうあんまり報道されなくなって、きっとずいぶん片づいたんだろうな、復興に向けて着々と歩いているんだろうなと、
遠く離れれば離れるほど信じたくなる、これが町の俯瞰図です。
国道45号線を右折、南下します。
頑張ってる、ガソリンスタンド。 これと、コンビニが命綱。
仮設のスタンドも、頑張ってる。
川を渡って坂を登れば、
やられた建物を改装して、地元では有名だという「さかなのみうら」。 近日オープン? 本館は町中で流失したとのこと。
来た道を町へと戻る。
南三陸署。
奥に見えるのは、気仙沼線の架橋。
ここを左に行くと、志津川の駅前に出る・・・・はずだった道。
公立志津川病院 本館(4階)
別館(6階 避難所指定場所)
そして45号線を北へ、本吉方面へと進む。
遠くにまだ見える、防災対策庁舎。
八月いっぱいで、原発避難指定地域を除く、すべてのエリアの瓦礫撤去のめどが立った、と報道があったけど、
このどこまでもある瓦礫を、ほんとに撤去できるのかな? 見た物を信じるなら、それはどうやったって不可能に見えるけど。。。
その中で頑張っている人や建物も、そりゃいっぱいあるけれど。]]>
かーちゃのお墓が倒れてた話
http://degipochi.exblog.jp/15941388/
2011-07-14T14:42:00+09:00
2011-11-19T23:56:35+09:00
2011-07-14T14:34:34+09:00
degipochi
南三陸町
さて、さっくり本題からいきましょう。気仙沼市本吉町にある、おかあしゃん代々のお墓は、3月11日から懸念されていたとおり、
きっちりすっ飛んでました。
グーグルで見るとだいじょうぶそうだけど、国土地理院の写真だとダメそうだし、津波の来た高さと寺の傾斜を考えると無事なような、、
なんて、パソコンを前に喧々囂々やってたのが、まぁなんと無意味だったことか。 やはり百聞は一見に如かず。
そもそも、志津川からあがってきて、本吉町にはいるところから、ひどかった。
(この写真だけ左クリックで拡大 遠くの町の様子が見えます)
そろそろ町が始まるはずだけど、、、、 駅はどこだ?
これか? これくらいしか建物ないんだけど。。。 いやこれ、ガソリンスタンドだな。
駅は? 陸前小泉の駅が、流されてるのは知ってるけど、気仙沼線自体が、崩れてるわ落ちてるわ、瓦礫まみれ。
あ。
これかな。 まったく駅には見えないけど、階段が残ってる。 6月下旬で、この状態。
そして、ここで、
国道45号線は、気仙沼線もろとも架橋が落ちてるので迂回。近日開設予定ですが、本日は左へどうぞ。
迂回路の右手。これ、川ではありません。田圃です。3月だったから水は入ってなかったはずなのに、未だに水引いてません。
気仙沼線、線路の上に家の屋根がある。。。
川を越す、ていうのが生き物以外の四つ足にとって、こんなに大変なんだと言うことを、いやっちうほど思い知らされる迂回路。
まぁ遠いわ離れてくわ、
向こうからも車が来るから、これでいいんだよね?とブツブツ言いつつ、走って走って、
おいこれ、ただの林道だろうみたいなとこも走って(でもなんだかいっぱい溜まってる)、
だいぶ不安になって、
やっと国道に出て橋があったと思ったら、
やはり場所が空いていれば、こんな状況で、
はいUターン。 気仙沼線、ここも落ちてますが、その下がちょうど川です。本来の河口からは、2キロ弱。
そこに架かってる陸橋の上に、家の屋根が乗っているって、いったい。。。。
陸橋をくぐり、坂を上ってようやくたどり着きました、おかあしゃんの菩提寺。本堂は無事でした。
アポも入れず、線香も花もすっかり忘れた不義理な珍客を、住職さんはそれはそれは丁寧にもてなしてくれ、
小泉の町を見下ろす本堂の前に立って、あの日のことを指さしつつ話してくれました。
あれね、あの海の中に建ってる建物。東京でそこそこ成功した人が地元に建てた、かなり立派なホテルなんだけどね、
元々は100メートルほど内陸にあったんだよ。で、まわりに町があったのが、みんな無くなっちゃって。。。
津波は真っ黒い壁になって、一気に町も川も飲み込んで、川に並んで走ってる気仙沼線の陸橋まで来た。
で、河川敷に小さく見える、あの車ね、あれは停まってるんじゃなくて、津波の日からずっと置いてかれたまんまになってるんだけど、
あの車まで来たときに、こりゃぁいかんと思って、本堂よりさらに上に逃げた。結局、津波は
本堂の直ぐ下まで到達して、地震で倒れた墓石も無事だったのも、
あらかた引きずり込んで、引き攫っていった。
川ん中にぶちまけられた墓石を回収するのは、そりゃあ大変で、
みんなに手伝ってもらって、ようやく半分は回収して、となりの空き地に並べたけど、まだ半分は手つかずだ。
中には、墓石だけじゃない、みんな持ってかれちゃった家もあるし、あんたんとこはまだ運がいい方だよ。
ただあの空き地に、持って行き場のない瓦礫を積むって話も出てるから、そうなったら墓石どうするかねぇ。。。
回収した墓石は、元通りに立てたいんだけど、ほら4月11日にでかい地震があっただろう、あれで、
3月の時大丈夫だった山門もくずれちゃったし、本堂の前の道路もがたがたになった。
せっかく立ててもまた倒れるなら、しばらくあのままにしとこうと思って。落ち着いたら元に戻すよ。
いえいえ、墓石が立っていようと横になっていようと、全然かまいません。お寺が無事で住職さんがお元気で、ここまで車でなんとか
来られるなら、今は充分であります。そのうち、余震も治まるでしょう。その時、親族集まって、しっかり立て直しましょうや。
被災した地域のあちこちで、来るべきお盆を前にして、お墓の問題が持ち上がっていると言います。
亡くなられた方を送るのに、お寺もお墓も整えてあげたいのに、叶わない。あと一月、少しでもちゃんとしたお盆を迎えられますように。
被災はしてたけど何も流されずにすんだおかあしゃんは、なんかちょっとだけ後ろめたそうにしておりました。
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仙台~石巻~南三陸町
http://degipochi.exblog.jp/15851678/
2011-06-29T10:19:00+09:00
2011-11-19T23:54:13+09:00
2011-06-29T10:11:56+09:00
degipochi
南三陸町
国見に行く前に、おかあしゃん実家の墓がどうなってるか確かめに本吉に、そこにたどり着くためにまず、南三陸を目指す。
5時半。前回(4月1日)よりずいぶん平穏を取り戻したなぁと見えた、那須高原SAで、やはり自衛隊の車両多し。
福島に入る。とたんに、前より凸凹した感のある路面。
ほら、また自衛隊の車両。 ホントに多い。
菅生で朝食タイム。
6月にはいって、「食べる」ネジが弛んでしまったサラっぴ。食べるてなんでちて? 状態で、ヒドイ時は、手から団子にして
食べさせてたが、日増しに良くなって旅行前には、自力でもくもく食べるとこまでネジが締まってたのに、
また戻ってしまった。 緊急事態の不安を感じてるんでしょうな。 スプーンで半分やっと食う。 はい、残りは先輩の腹の中に。
菅谷ジャンクションから仙台北部道路へ、
仙台松島道路をへて三陸道と進む。 超順調♪
あれ?
ほんとに?
ほんとだった。
三陸道大渋滞。
無料区間に入った途端、緊急車両もなにもない、一車線の大渋滞。どうも石巻に行く車が多いらしい。
高速のすぐ横に広がる石巻は、隣接する気仙沼市・東松島市と比べても町の規模が大きく、支援の手も届きやすいように見える。
こんな光景は、他の都市にはあまりないかも。
石巻赤十字病院。
高速のすぐ横にあるのね。 ビックリした。こんな立地条件のいい病院が、震災直後は孤立して、薬も医療器具も底をつく、と
ものすごく追い込まれた極限状況にあったのを思い出しても、有り得ないことのような気がする。まさに高速道はライフライン。
その、震災の名残が。
松島・東松島・石巻とどんどん車は減っていき、終点・登米東和で降りる頃には、ほとんどいやしなかった。
右折、トンネルを越え、まっすぐ南三陸町にと入っていく。
うちの古いナビでは、「志津川町」と出る。 つい最近統合されたので、震災前は、南三陸町って町名は知らなかった。。。
まして本吉郡は、もっと北のエリアの郡だと考えてたら、それはすべて気仙沼に統合され、「本吉郡南三陸町」の一郡一町だと。
わからん。 地名と場所が一致しない。 きっと、統合でどこか分からなくなってしまった所は、もっといっぱいあるだろう。。。
そして、町まであと3㌔となった時、
突然、始まった。 こんなところまで、津波は船を押し上げ下流の町を置き去った。
でも、作業している重機も、きっちりと仕事をしているように見受けられ、
自衛隊の車両もちらほら。 あ、やっぱり南三陸は、もっと北の町に比べて精力的に片づけが進んでいるのだなと思ったら、
町に入って行くに従って、ジリッとするような違和感が芽生えてきた。
分別の出来た瓦礫の山、すべて飛んだガードレールの代わりのコーン、真新しい電信柱。
そして対岸に広がる、撤去の進んだのか、どこまでもほぼ何もない地面。
もしかすると、川の向こうには、町はなかったのかな。。。 だって、何もない。。。
トンネル。気仙沼線だが、トンネルしかない。線路は?
どんな報道でも、ありきたりな住宅街や町のはずれでは、過去そこにどんな建物があったかは映さない。グーグルを見ても、
映像は現在の瓦礫のみ、地図でも特筆すべき物がないのか何も書き込んでなかった。
やっぱり、この対岸はただの更地だったのかも、とふとグーグルのストリートビューを押してしまい、そして、、、
町はありました。 東京はネリマやそこらの下町の商店街と何ら変わらぬ、志津川の町は。ストリートビューの中に、生きてました。
検索して見てみてください。いずれ削除されてしまうだろう、震災前の町並みは、今ならまだ静かにそこだけで息づいています。。。
防災対策庁舎。
意外に小さい。
これでは建物ごと飲み込まれてしまっても無理はない気が。 それと、確かに海に近すぎる。
まわりの建物は、鉄筋のもの以外は残っていません。
「はまセン」のアクセスマップに従って、左折する。この川際の道だけが、ダンプなども含めて機能しているようですが、
実はかつての町の中では、ちっちゃな川に沿った測道に過ぎませんでした。他の道は、あまり判別できず。
国道45号線、東浜街道に入る。
わずかに駆け抜けただけの南三陸町。 そこにはダンプと埃と、重機など懸命に瓦礫を片づける車両の姿はあっても、
歩く人の姿はなく、まして生活の気配の欠片も名残もなく、被災後3週間の陸前高田・大槌町とはまた違った人気の無さでした。
復興は、この瓦礫をすべて撤去し、それで出来た山を運び出してからようやく始まるのであろうか。
それまで、人はどうやって待つのだろう。
東京で日々、口にする「復興」の意味が、靄のように分からなくなる眺めが、そこにありました。
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